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あさひてらすの詩のてらす

「美しい祖父」と10篇の詩 (ナカタサトミ)

あさひてらすの詩のてらすでは、ご投稿いただいた作品の中から、世話人と編集部にて作品の選出を行い、良いと思われるものを掲載しています。今回、投稿作品の中で、一群として読まれることが望ましいと思われる作品がありました。その作品が、ここに掲載するナカタサトミ氏の11篇となります。世話人のコメントともに、ぜひご一読ください。


 

 

美しい祖父

 

七月のゆらぐ空

ネオンテトラの水槽

お菓子をつめた青い箱

雨ふる休日も  イルカのキスも

君にはみんなやるから

どうか帰らないでいておくれ

そして  私のまどろみの中にある

早朝のお墓でかくれんぼをしよう

 

 

家出のあと

 

私自身の若いくちびるを通して祖母が

旧い高慢さをスプリンクルしているのを

頭の後ろから見つめるようなとき

火のでるほど恥ずかしいと思う

私の身体は育った虚栄の帝国の

内部がダメになった果物でできていて

私はフケを落としていくのと同じに

それらの腐敗汁を滴らせる

そのくささが私の生命といっしょに

はやく失われてしまえばいいと

メンタルクリニックの待合室で

けがれのない美しい魚たちを見るにつけ

せんないことを考えてしまいます

 

 

黒い蝶の少女

 

あの子はもう十六にもなるのに

黒い蝶が髪にとまれば死ぬという

陰惨なメルヘンを信じていた

他人を睨むように見るので

そのことでいつも祖父にきらわれた

きらわれているほうがむしろ

彼女にとっては安全だった

祖父とその妻と彼らの二番目の娘は

十六の少女に眠りを許さなかった

つくりものの眠りと

無理に拡大された目覚めとが

あの子の生命の見えているすべてだった

家族に隠れて非実在の恋人に逢うとき

きまって囁きかけるのは

実在しない小説のどこにでもいる女として

私を見つめないでという言葉で

しかし実際のところ少女は

すべての国のすべての町に暮らす

少し壊れた子どものうち一人にすぎなかった

あの洒落た封筒は大きな窓が必要だったのだ

隣のおじさんが誰に言うともなく呟いた

 

 

父の標本

 

大破壊交響楽の雨がふる日

毛布を抱いていた女の子は

獰猛になにかを恋い慕いたいと思う

所在がわからない父親に似た

気団とおなじ  巨大なものを

それでいてけっして醜悪ではない

たとえば皇帝や 戦争や バクダン

奪い焼きはらうそんな強さでなく

女らしい父を恋人として夢見るのだ

彼は女の子を広く肉付きのよい膝に

彼女の赤いベビー毛布がそうであるように

大切に  しかし必死に抱いてやる

父の乳房と心音に頭をすり寄せながら

娘は安心しきって眠るだろう

二人はマイナス千年生きられるだろう

 

 

N夫妻と私

 

たとえば私がパパとママの子ではなく

がらんどうを親として生まれた娘だったら

どんなに幸せだっただろう

誰にも見つからない

傷から血の不在を流す無口なからだ

すれ違うことも  ぶつかることもない

注意ぶかく追究された不在は

存在を乗り越えるとシロクマが私に教えた

二〇〇七年の春を夢で見た夜だけ

ひとりぼっちになれるのだった

 

 

父親泥棒

 

むかしTという詩人が

母を盗めと若者に説いた

しかし青年が母を盗むようには

娘たちは父を盗むことができない

女はその美醜にかかわらず

色さまざまの宝石でできているために

かえって盗まれやすいのだ

臆病者の私は父の髪の匂いを

胸深く吸う明け方を夢見ながら

神戸の喫茶店の二階の奥のほうの席に

遊びつかれた犬みたいに座っている

 

 

ファンタジー

 

なり損ないの天使が大粒の真珠で

静かに窒息していくように

彼女の膿んだかさぶたを誰かが

人魚の鱗に喩えたから声を失ったのだと

田舎の娘は翻訳ノートの端に書いた

震える手を美しいと思うとき

あなたは一つ罪を犯している

それに触れようとするとき

また一つ自分をよごしている

逃すまいとしたときには

不可逆的に腐敗している

見つめていたものが娘の血と肉ではなく

ヘリコンの山の泉であったことを

無数の老いた少年に知らせようと

女たちがしきりにメモをとっている

鉛筆と紙がこすれるその音の連なりが

甘やかな声をよみがえらせるまで

 

 

いやなことヒューズ

 

少しかすれた声が

都会の娘の醜いところを触って

線路沿いの窓の向こう側へ

行って 行って はるかに行って

音のない音として

小さなネコの子の眠りを妨げるのを

すこやかな戯れとするのなら

言えない出来事の果てない連なりで造られた

彼女の身体はどうやって赦されればよいのか

わからないでいた

彼女の中の彼女以外が目を醒ますそういう

暗くみじめな交わりは

あの人の無邪気がもたらした

遅効性の呪いであり

生活の日々にさしこむ光の針

どこへしまっておこうかと

わからないまま今朝も指先を血に濡らして

生命をするということの耐えがたい重さを

感じないでいようとする

身体に棲みついた誰かが

 

 

Oへの手紙

 

ときどき

私のこころは私のからだを離れて

不在ゆえ永遠に呼びかけることができる父や

ホテルの廊下や  モールの地下駐車場へと

当たり前のように帰っていく

命はみんな命の色をしているが

私はとりわけ隠れるのが下手なのだ

そういうお話をあなただけにはしてもいい

 

 

Kへの手紙

 

身体の骨が砕けるというほど

目の前の人に抱きしめられたかった

けれど一刻も早く逃げ出したいと思った

つながりを滅ぼす激烈さを愛と呼ぶなら

私は人間でなくなりたい

どれだけ愛し敬っても

かれは知恵のあるただの人だと

思える時間が必要なのに

ふれあえばふれあうほど 

いばらの垣にへだてられる恋人たち

私がいばりくさって見えるのは

ふたりぶん

さびしさの息をふきこんだから

年下の女に母を見いだすことは

あくまで醜悪な気持ちです

あなたはそれをやめられない飢えた砂像だ

 

 

 

美しいものについて話す口ぶりで

おまえは「いま、恋している」と言う

しかし  あの老学者やその娘が

幼いおまえを獲物として見る目を

みずから身につけてしまって

そのけがれた悪魔のまなざしで

かれの背中をとらえているのではないか?

私がこのことを囁くと

ようやく気づいたふりをしながら

はたちすぎの健やかな皮膚を掻きむしって

獰猛にうなりだす

実際のところどこかの男を犯すのではないかと

いつも不安でたまらないのだろう

あるいは

貞淑な祖母が日頃言い聞かせていたように

望みや秘密やこころの動きは

どんなときも他人に知られていると

恐れつづけているのではないか?

彼女はおまえがおまえ自身の祖父と

家の小さな図書室で犯した罪を

執念深く罰しようとしている

おまえが夜  あの美しい友人の

れんげ畑の香りの胸に

やさしく抱きしめられる夢を見ているのも

私たちは知っている

 

 

 

 

 

〈世話人より

これらナカタサトミ氏の作品は、投稿された作品群から世話人が選んだものであり、その選択や並べ方は、作者の望むものではないかもしれないが、世話人の考えとして了承していただいた上で、以下に、コメントしたい。

ナカタサトミ氏の作品は、それぞれの完成度が高く、自立しているが、しかも、相互に共鳴しあう。悲痛な叫びを上げる各々の詩作品が、時には直喩や名詞止めによって、時には企まれた散文調によって抑制されながら、担うべきそれぞれそれのパートを変奏してゆく。その主題がわれわれへ伝えたい託けは、なんなのだろうか。

冒頭の「美しい祖父」は、主題のイントロであり、また、作品群全体のイントロでもある。かの者を言葉巧みに誘う<かくれんぼう>(「美しい祖父」)こそが、偽りであり、騙しである。それは、圧倒的な力の差のもとで成立する罠であって、初めから結果を予測できる人間が、遊戯の名の下に、何も知らない人間を、精神的に、肉体的に弄ぶ。それがほんとうに<かくれんぼう>なのだろうか? 

そもそも、かの者は、<隠れるのが下手>(「Oへの手紙」)なのである。かの者が引き受けざるを得なかった<私の生命>(「家出のあと」)、あるいは、<あの子の生命>(「黒い蝶の少女」)は、他者によって翻弄されるものとなる。全て、かの者の選択ではなかった。翻弄されることなぞ、誰が望もう。だが、まさしく、かの者こそが、全てを引き受けねばならない。かの者が、たとえ自己処罰を行おうと、<執念深く罰しようと>(「恋」)、かの者が<生命をする>(「いやなことヒューズ」)ことから逃れることはない。それが、定めなのである。

書き手は、では、かの者との距離をどう確保するのだろうか。途上で測りかねている様は、自己同一(「家出のあと」「N夫妻と私」)の状態や、三人称化された<あの子>(「黒い蝶の少女」)、<娘>(「父の標本」)を読めばわかる。「ファンタジー」では、<彼女>、<田舎の娘>、<あなた>と、かの者を呼び替える。

しかし、最後の作品「恋」において、書き手がおのれの自称を<私>から<私たち>へ変えながら、かの者を<幼いおまえ>から<おまえ>と対象化してゆくとき、ついに、救済が訪れるであろう。いや、訪れねばならない。最終行で<私たちは知っている>と語ること、それはありふれた言葉であるけれど、しかし、納得であり、安心であり、共感であり、罪穢れを含めて一切の受容でもあるのだろう。言葉が救済である。

 

作品それぞれが、非常に複雑で深い感情や内面的な葛藤、人間関係・血縁関係の孕む矛盾と危険性、しかもそれでも、どこかでその関係に依存せざるを得ない人間存在の弱さを、鮮やかに表現している。

(渡辺信二 記)

 

 

 

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