朝日出版社ウェブマガジン

MENU

あさひてらすの詩のてらす

「八階の女」と7篇の詩 (ナカタサトミ)

 先月に引き続き、今月もナカタサトミ氏の詩作品をお届けいたします。今月は8篇、世話人のコメントともに、ぜひご一読ください。


 

秘密  

 

小さな船をひとつ

沈めてしまえるほどの

秘密をたずさえて

女は男のところへきたので

縛られた舌

言いそびれの言葉で満たされた肺

そして分解され

それぞれに暴走する手足を

男がいやがるのではないかと

心配しているような夜のことも

桃色の唇からかたいつまさきへ

伝わっていけばよいのにと思っていた

男のまなざし

やさしい微笑みや

豊かな訛りのなかに

女が育った家にはない

父親という人がいるような気がした

このまま進んでかまわないかどうか

女にはわからなかったし

もしかしたら積荷が増えるだけのこと

かもしれなかった

 

 

インソムニア   

 

まだ外が暗い

このような時間に起きている子どもは

クラスの子どもの誰よりも

見てはならないものに近い

このような朝に

不吉な愛の囁きをくりかえす父の唇に

さようならのキスを深く落として

幾人の少女が立ち去っていくのだろう

そのひび割れと渇きを懐かしく

何度も思い出してしまいながら

行ってはならないところへ

家に帰れない場所まで

 

 

大切な家族に愛をこめて  

 

私の身体にまなざしを手を唇を近づけないで

耳元にやさしい言葉を囁きかけないで

かぐわしい傷口を啜ろうとしないで

この線からこっちへ来たら

私天国なんか行かなくていい

あなたを地獄の端まで追いまわして

スプラッタ映画みたいにしてやるから

嫌な気持ちになるでしょうね

そして私の悪口を言いふらして

わずかな居場所もなくしてしまうわね

あなたの死んだ身体は大きくてとても臭い

言葉は元気にエレクトして

老眼の目は血走ってる

気味が悪いのよ

テーブルクロスに隠れてなにをやっているか

一丁目のぜんぶの家に聞こえるように

トレーニングに通いはじめたの

お月謝くらいは出してくれてもいいかしら

払えないわけじゃないけど

ほかに欲しいものがあるから

あなたは知っていると思うけど

私もうすぐお誕生日なの

パーティーにはお友だちをたくさん呼んで

あなたにも歌をプレゼントしましょう

最悪の祖父にささげるラブソングを

 

 

自己嫌悪する依存症者     

 

自分の生命にこそ飢えて渇き

象徴を求めつづける私たちは

人の生命の腥い匂いに耐える事ができない

アディクティブな追求のそのさまを

私は風景として見つめようと決めた

人々の暮らしの中の

軽蔑すべきものの一つとして

数百円の搾取的な洋服や

店の人をおいと呼ぶぞんざいな男や

そういったものの一つとして

本当は

たとえスプリットを繰り返して

一億分の一億の私になっても

私自身の信じるところを大切にしたいのに

私の唇が私でない誰かの

たとえば私の

選民思想に満ちた

人間の生と性を全身で軽蔑する祖母の

醜い言葉をなぞっているそんなとき

私の霊魂は薄い水色の煙になって

私の頭の後ろを見ている

酔って眠るためだけのアルコールと

名前も知らない人と同じ部屋にいて

自分だけが夜明けに気づくような夜に

いいかげん疲れ切った黒い髪の後頭部を

 

 

死     

 

それはひなぎくの青い茎に

子犬の尖った鼻先に

若い女の張りつめた身体の中にも

等しく埋められたおそるべき救済

私がいまよりずっと小さいとき

年上のきれいな女の人と

めがねをかけたシロクマと暮らしていたころ

誰にも守ってもらえない

音のない世界に夜毎とどまりつづけ

べとべとの色彩に支配された記憶

目が痛くなるようなうるささと

遊びつかれた手足の日々

時計の虚無

すべての人々のすべての身体にあって

棄てることができない内臓

そこへ逃げたいと祈りつづけた私

逃げられなかった紛争地域の幼児

なかなか行ってはくれない嫌いな人

今朝 隣のおばさんに起きたこと

 

 

にじぐみ     

 

音がしている

鉛筆の

秒針の

貨物列車の

自動販売機のジーというやつも

時間はたしかに一方通行で進んでいるのに

もうママが迎えにこないと思い込んだ夜を

私は20年くりかえしている

世界がやけに白い

アナログのテレビも

劣化した赤いプラスチックのかごも

ハローキティ版シンデレラのビデオも

きっとあの場所にはないのに

あのおじちゃんは死んでいるんだろうし

あのお弁当屋さんもなくなってしまったし

昔住んでいた町は近くの市に合併されて

呼びなれた名前は失われた

友だちのパパもいつの間にか別の人になり

いろんなことがどんどん変わっていくのに

私だけ丸い頬をして突き出した唇で

観念としての父の乳房をしゃぶっている

飲んでも飲みたりないという

当たり前を当たり前として諒解できずに

5+20の生をむさぼる

 

 

八階の女     

 

八階の部屋に女が住んでいる

夏の日の押し入れに閉じ込められて

暗いところだけ見ていた子どもの目が

いまはもうなにも見えていないけれど

海の記憶をとどめる老人の目へと

変わっていくくらいの時間をかけて

自らの生命をやがて分解してしまうために

鏡台のうえで詩を書いている

彼女は二足歩行の回遊魚だ

逃げまわる毎日につかれて

ただ遠くへ行くためにイタリアの靴を買った

この若者には女らしさを許さない祖母がいて

ハイヒールなど履いたことがなかったから

歩くたびおかしな音がするけれど

それはそのうちよくなるだろう

二十五歳になる年の夏ふるさとを捨てたから

寝室に祖父が忍び寄ることももうないだろう

鏡台の前に座って黒い髪をじっくり梳いても

灼けた腕に後ろから抱きすくめられる危険も

白い脚に二発か三発腹を蹴られる心配もない

新しい毎日が自由すぎるような気がして

女はときどき急に怖くなる

自分自身であることはあまりに邪悪で

芯からけがれている感じがするから

それでもきっとそのうちよくなるだろう

 

 

待合室の時計         

 

この若さはかたく詰まった果物で

しばらく脱ぎ捨てられない病ではないかしら

夢の中だけは悪い夢を見ないでいられる

そういう日がさいきん増えてきた

でも私はクリニックの待合室にかけられた

馬面の時計ののどちんこみたいなもので

誰にも捕まえてもらえないまま

三途の川を跨いで反復横跳びしている

他人の肌に触れているときだけ

自分のお腹の中のどす黒い色を忘れられる

けっきょくあとからひどい悲しみで泣く

あわれな金属製ののどちんこが私なら

私のヴィヴィアンタムには「祝開院」と

筆文字で書いておかなくてはいけない 

 

 

 

 

 

 〈世話人より〉

 先回同様、ここに選抜されたナカタサトミの作品は、投稿作品群から世話人が選んだものであり、その選択は、作者の望むものではないかもしれないが、世話人の考えとして了承していただきたい。

 さて、ナカタサトミの作品は、今回も、それぞれの完成度が高く、自立している。かつ、相互に共鳴しあう。悲痛な叫びを上げる各々の詩作品が、時には直喩や暗喩、皮肉や自己嫌悪などによって、時には複文の利用によって、抑制されつつ放縦に、それそれが担うべきそれぞれのパートを変奏してゆく。

 今回は特に、「自己嫌悪する依存症者」を取り上げて、すでに鬼籍に入っている女性詩人たちと関連づけつつコメントする。

 この作品「自己嫌悪する依存症者」は、まずは、自己嫌悪と他者依存とが表裏一体となって、おのれの生をむしばむ光景を、冷徹な視線でよく風景化している、と言えよう。

 まず思い出すのは、氷見敦子(1955-1985)だ。フェリス女学院大学在学中に本格的に詩作を始めた彼女は、『石垣のある風景』や『柔らかい首の女』といった詩集を残したが、30歳の若さで病によりこの世を去った。氷見が示した身体と死への鋭い感受性、断片化する自己への激しい語法は、本作品の、例えば、「スプリットを繰り返して/一億分の一億の私」という断章的表現と響き合う。同時に、詩集『エアリアル』や小説『ベル・ジャー』で知られるシルヴィア・プラス(1932–1963)も思い出す。彼女が、父の喪失や家族関係から生じる怒りや孤独を作品の中心に据え、”Daddy”などでその影を強烈に描いたように、本作の、例えば、語り手の祖母の言葉をなぞる場面は、価値観の継承と抑圧の伝播を反復するようだ

 本作品が巧みであるのは、しかし、反復の行為そのものを道徳的否定で終わらせず、酩酊や夜明けの具体的で個人的な情景を通して、自己愛への希求と自己破壊の交差を、冷徹に観察している点だ。他者の言葉をおのれが反復する瞬間に見える微細なズレこそが、詩の倫理的核心を成しており、それは、おのれだけではなく、読者に対しても、内面の複雑な継承と生の渇望を突きつける。特に祖母の「選民思想」をなぞる瞬間は、プラスが「父」への複雑な愛憎を詩に注いだ過程と重なっており、家族特有の言葉の反復こそが語り手の身体表現を歪めるのだけれど、そのさまが、読者に不快と同時に同情を呼び起こす。結果として、作者は、自己嫌悪と依存を単なる個人的欠陥として切り捨てず、言葉の継承と身体の風景を同時に示すことで、生の不安定さを読者と共有する。

 ナカタサトミの冷静な観察と表現は、告発でも祝祭でもなく、弱さを抱えて生きる厳密な、しかも、個人の証言として胸に残り、ここに詩の倫理があると感じさせる。

 深く、痛く、しかも、強い。この作品を読むたびに、何かが魂に響く。

 (渡辺信二 記

 

 

バックナンバー

ジャンル

お知らせ

ランキング

閉じる