朝日出版社ウェブマガジン

MENU

あさひてらすの詩のてらす

「私という他人」と4篇の詩(ナカタサトミ)

今回は、ナカタサトミさんの作品を5篇掲載いたします。すでに掲載している「『八階の女』と7篇の詩」と「『二十五歳』と9篇の詩」もぜひ一度ご一読ください。


 

総評として

この作者の作を、届けられた多くのものから数編を選んで示すということが可能なのかという疑問がまずあります。1篇1篇が独立した文芸として自立していないという意味ではありません。全体で何かの手記を構成しているタイプの全体的手記=ウーブルという意味で言っています。フランス語でいうoevreです。全体として独特の世界を実現していることは言をまちません。とはいえ、それでも世話人の好み、テイストであえてピックアップすればこうなるという感じでお示しします。選と選外は各作の優劣ではありません。

ただ今回気づいた点として、アフォリズム的決め文句であったり、世間的知恵の言い回し的決め文句であったり、を導入している作が複数ありました。このふたつ、前後の人生感懐の熱い流れ、激しい描写とどう混ざりあうのか読者として捉えきれないケースがありました。人生感懐は古い言葉ですが、苦悩の手記ともいうべきところをあえてこの古色蒼然とした語で言い換えてみました。以下5篇にコメントしました。かえって邪魔になるかもしれません。適宜、取捨選択してご一読いただければと考えます。

(千石英世 記)

 

 

サラダボウル

 

考えないようにしてきたけど

好きになる口実を探しているということは

いまあなたを好きなのです

(洞穴がむぐむぐ動いている

「おいしそうな子

お前を丸呑みにしてしまいたい」

暗やみは数mmずつ近づいてくる

私のまなざしのうつろは

男の人のまなざしの中にもある)

人間はみな聖なる凡俗だから

抱きしめてくれるとかぎらないが

角のピザ屋の後光がさしながら

青い服の彼はこちらに話しかけます

(昨日 俺は千の島にいる夢を見たよ

たった一つの身体で千の意識を持ったんだ

セントローレンス川は

目ん玉が痛くなるほど眩しかったよ…)

危うい 私たちはよく似ている

なぜ詩人が薔薇を愛するのか

わかりかけた気がした 火曜日

それぞれの命に途方にくれてなお

生き延びるため壊れていきます

自分自身でさえ信じてやることができない

こんな夜更けはグリーンサラダの森の奥で

私を手酷く抱いてください

 

 

私という他人

 

電車を待っているとき

前の人を突き飛ばしたらどうなるか

想像してしまうような種類の苦痛を

彼にはじめて会った瞬間に

脊髄にかんじた

私の恋はたいていこんなふうだ

ティーンエイジャーだったころもいまも

救いのない感情ばかりわきあがる

 

 

アンチナタリスト

 

若い私のこの

桃色の胎よ 果てしない空室であれ

繋げていくことの温かな残酷を

知らぬままに老女になりたいと思う

ちちははの子どもを刺すまなざしの

正しさを味わい淫することなく

ようやくこんなふうな生き方を

伽藍堂のこの幸せを赦される時代がきて

万物のちちははとなり

凶暴なまでに愛され 再び言葉をもち

それ故に自分の命の鮮やかさを心身に受けて

目眩がするほど青い須磨の海

生まれてきたときには脈動していたのに

名付けられ 意味づけられ

飢えた愛情をそそがれ

私自身でなくなってしまった

だからこのバトンはいつまでも

私の手の中に握られてあるべきだ

私の子宮よ 永遠に空っぽの愛しい

 

 

ひび割れた鏡の詩

 

年上の誰かが言っていたように

愛することは地獄に似ているのかもしれない

いつ終わるともしれない熱におびやかされて

まなざしの奥の暗闇はいよいよ深く

底知れなくなり

バスストップでうずくまる十年前の私

「私になにが起きているの?」

「ごめんね、おねえさんにも解らないや」

…などと会話する私たちの髪の端が

秋風のひんやりとした処女膜を破る

呼吸器にふく風はこう聞こえる

(好きな相手とするものだと言うけれど

納得のないままに奪られた者は

この先も生きておれるのでしょうか)

暗澹たる点滅 交差点 身体の中を

人々のかなしみが駆け抜けていくから

言葉が脂肪の層まで皮膚を裂くから

ひとりきりになりたくなって

しかし愛に渇いている

私は綱渡りの女だ

子どもの手の中の風船だ

 

 

ピクトグラム

 

まばゆいほどに男ぎらいな私の祖母は

女らしさからの自由をめがけ

なよなよしい孫娘をつかんで投げる巨女

孫娘は 私は放物線を描いて堕ちて 死ぬ

女らしさへの自由 自由 自由とつぶやいて

廃墟のまちの冷たい真ん中を熱い血で濡らす

うしろめたい幸福 初恋やラブレターや

まなざしの記憶が流れ去るときも

裾を広げたトイレのピクトグラムは

脈々と赤い正しさの色をしている

 

 

 

  

 

サラダボウル

激しい、激しさに詩がある! 激しいもの、怖いものから逃げながら、いい詩だとうそぶいている私。 

わたしという他人

短詩だがいいとおもう。最終行、どうだろう、なくとも面白いのですが。 

 

アンチナタリスト

文句なし!作品に意志がある。手記的内容が詩作品としての作品を圧倒し、寄り切っている。

ひび割れた鏡の詩

詩作としては弱い。心情表白としては強い。でも、登場人物が複数いる点、また不特定複数の「人々」が言及されている点、前進しえているといえるのではないかとおもった。

ピクトグラム

詩作品としてはナカタサトミのユニークさは抑制され、その分、テンションも抑制され、その分、読みやすい。それがいいことかどうかは明言できないが。

 

 

 

バックナンバー

ジャンル

お知らせ

ランキング

閉じる