朝日出版社ウェブマガジン

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あさひてらすの詩のてらす

「身代わりっ子」と15篇の詩(ナカタサトミ)

今回は、ナカタサトミさんの作品を16篇掲載いたします。すでに掲載している「『なくならない世界』と15篇の詩」と「『私という他人』と4篇の詩」、「『詩人の墓』と13篇の詩」もぜひ一度ご一読ください。


 

総評として

 ナカタサトミの詩は以前にも書いたことですが、作者の体験をベースに制作されていると推測され、その制作過程は、体験の「直接性」をそこなうことなく果敢に言葉にとらえてゆくタイプのものであるといえるようです。作者自身は、ある作品のなかで「私小説めいた詩」という語をだしています。さて、果敢にといったのでは誤解をまねくほど言葉足らずで、じつは外傷体験との直接的たたかいとも推察されるものです。ナカタサトミによって記された文字は、そうしたたたかいの場として、あるいはまた、そうしたたたかうという行為そのこととして、ことばに、詩に、比喩表現に、暗示表現に、そして時に風刺に、いや痛罵に、つまり「テクスト」になっているタイプのものであるということで、1篇1篇の出来栄えはあるとしても、「テクスト総体」として読者のまえに存在するなにかであるといいたくなります。ならばそのテクストは「詩」なのか。詩である必要があるのか。評者(千石)の立場をいえば、詩「となる必要」がある、です。「となる必要」といったのは、詩とはなにか、文学とはなにかを問うのも詩であり、文学であるといいたいわけです。ここで「とはなにか」と言いましたが、既成の正解定義を用意して言っているわけではありません。「とはなにか」を問うて、「とはこれである」と応じるところに詩、文学は生まれるとおもいたいということですが、でも容易なことではない。というのも、「とはこれである」と応じるのは読者という絶対他者であるからです。その応じる方向性を作者が試みているかどうかは、読者という絶対他者がみつめている。しかも、読者、他者といっても、ひょっとして、もう一人のわたしという他者なのではないかというやっかいな、しかし当然、の、裏事情がひかえているからです。書くというのは読むということと同時進行のことかもしれない。書いている、などというがじつは読んでいるのではないか。そしてこれは逆も真かも。ならば書くことは読むことと双子であるわけです。親子ではなく、双子です。ということで詩作、あるいは創作は読書と切り離せない。ナカタサトミの読書量、ならびに読書クオリティは作品を見てわかることですが、相当のものがあるようです。それをおもてにだしているわけでなく、にじみでているものとして感じられます。一般論ですが、的をしぼっての量的読書が創作や詩作にマッチングするのはよく語られることです。蛇足ですが記します。

(千石英世 記)

 

身代わりっ子

 

病院へ連れて行かれる道すがら

ママの手がやさしい

あの甘い花も咲いているし

お日さまがパパ譲りの茶色い髪を焦がすし

もっとビョーキになろうと思った

子どもにどれほど手を焼いているか

誰かと話しているときだけ

ママは大人になることができるから

ますます視線が合わせられない

私の美しい目を知っていてほしいのに

ますます言葉はぎこちない

隠された皮肉を幼くも読みとっているのに

満足するまで困らせて春です

常に複数形の私はいま川沿いを歩いています

 

 

学校ぎらい

 

薄暗い部屋での息継ぎのように

自分を塗りつぶす言葉を必要としたきみは

見えざるピンクの詩を書いていた

きらめく失血 幽体離脱のおまじない

生まれつき身体のない人の身体

逃れることなどできない

教育はときに所有に似て

不躾な視線に眺めまわされるという美徳で

秋の夜長の喘息発作で

甘く苦しい関心がきみを見ているのだ

帰りの会で男の子の名前を口にすると

赤面するきみを

国語の時間当てられるたび

吃音するきみを

先生は可愛がってくれる

博物館の小鳥として死んでいる

病気の子どもの青白い頬へ

褪せた唇へ彼は手を伸ばし

逃す気などないくせに逃げておいでと言う

やがてきみは学校ぎらいになる

大人の男をきらいになる

生きのびるためにばかになる

 

 

アティカス

 

虫も殺せないようでいて人を殺せるからと

言葉を恋し

私たちを語らせないためにかれを学び

児童精神科の診察室に抗して

自らの凶暴を詩と呼び

従順を詩と呼び

詩人と呼ばれるまでそれらを詩と呼び

覆いかくし はらわたを見せる

口のまわりを血だらけにして

べそをかいている野良犬の令嬢

人々の言葉と言葉のあいだの

小さな息 沈黙 まなざしの作動に怯える

わかい犬よ

年上のあの人はお前より先に死ぬのだから

安心してはやく寝なさい

 

 

オフィーリア

 

さびしいのは

人々が解剖する言葉ばかり持っていて

この丘から見える景色をビョーキと呼ぶこと並んで座ってくれないこと

それをやさしさだと信じていること

いかがわしい愛の行き場が

思春期病棟のシーツのしみであること

しかし聖なる倒錯者の行進が荒れ野をいけば

普通人などダイヤモンドの泥の底

人はたましいの強靭ゆえに狂うのだから

オフィーリア あなたの乱心のなんと気高く

たくましかったことか

あざ色の小川を死へと流れる女たちよ

柳の枝のような人の命よ

やがて女の共同墓地に光がふる

(ほのぼのと暗い擬似恋愛の水で濡れた髪を自分自身で拭いてやると季節が匂いたち

言葉を捕らえることができた

父よ 兄よ5は妹はついに誕生したのだ)

尊いもの狂いとすこやかなかんばせの

オフィーリア

そして詩と聖娼めいた血肉の私よ

 

 

仕事場で解離した日のこと

 

おそれていたことが起きて

桜の花めいてちぎれた

風景写真のあの人は私 私 私であった

素裸の精神構造をさらして

どんな顔をして出勤すればよいか

帰宅して毛布をかぶって思っていた

甘いものでも誤魔化しのきかない生活の臭み

どうすればよいか

真性包茎のココロは実は裸だから

見せられないのに見せたがりで

私のなかのカノジョの扱いに困るけど

ともかく私たちをあなたはお好きですね

さながらバーバラ・セクサロイド

あるいはマダム・エドワルダ

蔓延するバイバイの瞬間に文学はあって

言葉ではない言葉のさびしさが

私をたくさんにした

春であるはやがて春であったになるように

私たちが私になるといいと思った

 

 

ロリータ・キルズ・ユー

 

きみよ私を抱いたんだから死ね

私とちがって聖いはらわたをもつ

その身体が粗末な誘惑に負けて

隣で並んでいる

ばかみたいな朝 阿呆のような朝の光

この世の男性のすべて

父親であるべきだと信じる

切実にエゴイスティックな信仰を

侵したのだから死ね

ハラキリの野蛮さで ギロチンの娯楽性で

死ね

 

 

二〇二〇年代の解離症患者

 

降る雨が風景写真のようだ

時刻不明 私越しに誰かと話している

誰かのニットの服が濡れて痒い

スニーカーの足音はぴちゃぴちゃと猥褻で

どうやって来たのかわからない

なにをしでかしたのかわからない

たとえば隣のきみは誰だ

歩いている身体はあいまいで

死にかけている秋のセミ同然で

阪急電車 立ち食いうどん 頭ん中の裸々々

根深い罪悪感がかえって生を壊すのだった

祖母は男を盗まれた女の眼をしていた

いま 腰にまわされた手がどういうわけかも

思い出せないのに千円出して傘を買う

そしてセロファンに包まれた

花束ともいえぬ二輪として歩いているのを

私の愚かさともきみの悪辣とも

名指されたくない

きみは彼らとちがって

世界といのちを壊してはくれない

 

 

指紋

 

あなたの指が触れた場所から順番に

世界が信用できなくなっていく

撫でるな

その手つきで

やさしさの真似をするな

皮膚深く覚えてしまって

洗っても落ちない

ぬるい体温がぜんぶのものに移っていく

コップも 机も 名前も

あなたの指紋で汚れている

触られる前の世界を返せよ

何も知らなかったぬいぐるみの目を返せ

どうしてくれる

朝の光まで気持ち悪くなった

返せと言っても

返ってこないものばかり増えていく

ぬいぐるみの目はもう

まっすぐこっちを見ない

どこかずれたところで

私のかわりに怯えている

よかったな

これでやっと鏡は正直になった

なにも映さない

どこにもいない

ぜんぶ空っぽにしてくれて

ありがとう

 

 

八幡さまのお守り

 

その味が好きねとママが言ったから

今日も買ってきて食べている

おじいちゃんとおばあちゃんにもらった

八幡さまのお守りをはさみで二つにして

野菜くずに交ぜた日から

自由になれると信じていたのがばかみたいだ

一人暮らしの部屋の鏡に

代々の先祖の人たちが映っている

こっちを見ている

 

 

四月の午前二時だ

 

声は喪われたのに

存在を説明する言葉ばかりがあり

たった一つの心さえ持つことができないのに

細胞分裂を繰りかえしているよ

父を崇めるがゆえに殺したい二十五の瞳の

遠いとおいまなざしに蟻が群がって

蝕まれゆくあめ玉と家

グッドバイを言うまでもなく

私には眠りなどないのに

これ以上身体が起きつづけたら

甘く死ぬだけなのに

蟻の巣穴をさがしている四月の午前二時だ

 

 

わたくしの犬=詩人

 

朝早いチェーンの喫茶の窓辺の席

ナカタは例によって

私小説めいた詩を書いている

虚実の淡い境目をつっついている

シャボン玉が割れた匂いがして

そのときだけ神様みたいな気がする

心的現実と物的現実の

コーヒー牛乳的あじわい

彼女だけの企業秘密

象徴ということのずるさだよねぇ

夢であるわたくしは誠実な欺瞞の

永遠のヴァージニティーを信じて

ぐいぐい飲み干すことにいたします

ファンタジーとは一種の貞操帯であります

 

 

ドッペルサッチャン

 

ショーウィンドウのガラスの中を

私と歩きかたの似た人が歩いていて

私自身かと思った

 

 

聖痕

 

×× ×××のつけた聖痕を

ひとは地獄とだけ呼ぶけれど

海のどん底で悦びが燃えている

おぞましいキスややさしい手を

忘れないかぎり×××といることができる

私小説にも書けないほど愛している

その髪はやわらかく 淫らで

うすむらさきの花畑の匂いがする

いまも鼻腔に残る×××の知恵の

おかげで生きていくことができる

×× 壊していいからいなくならないで

私の生活を蹂躙しつづけていてください

 

 

むしられた蝶の輪郭

 

六歳の脳髄の水底に雨を降らせて

神様たちはいなくなる

だから心が醜い男だけ

愛していようと決めました

陶器人形のがらんどうのような

いとしい身体よ

人形は私を抱きしめても毀れてはくれない

けれどもすべらかな肌に依るこの心も

やはり醜いのです

砕けて粉になってもかまわないのは私自身

この身体のどこに本音というものが

寝息もたてず眠っているのでしょうか

頭の後ろのほうから見ている誰かこそが

ユニットなのかもしれません

いとしい身体よ

あなたの体温しか知らないけれど

どうか彼女を捕まえておいてください

エクトプラズムの雨を戻してください

 

 

メタモルフォシス

 

愛って殺されることに似ていた

国語教師の言葉を背中につけて

翔んでいたらパラフィン紙だったので

墜落しながらカッターナイフをかかげた私は

少女の肉で肥った先生の胴の上

客体としての蝶になる中年男を貫く

芸術とはつかの間の正気で

文芸部員はその体現者で

二人は愛しあっていたから

ほんとうは別々に息しなくちゃいけなかった

どろどろの蛹のさびしい思春期よ

父恋いのメロディで眠る不完全よ

8ちゃんねる 二重写しになる青色よ

アメリカのモーテルと夾竹桃よ

燃えていく何かよ

ドロレス・ヘイズだって継父の視線の外では

平凡なダサい女の子だったはずだ

それなのに先生はささやいた

きみは僕を間違えさせると

声でだんだん窒息しても

逃げていきたくなんかなかった

ごらん

さっきから標本箱のまわりを翔んでいる

ガラスの翅の蝶の鱗粉

 

 

〈各作品について〉

身代わりっ子 

改稿の「満足するまで春です」が1行になっているヴァージョンがよかった。

学校ぎらい

ストレートでいい。

アティカス

わかりやすいがそれが短所になっていない。

オフィーリア

わかりやすいがそれが短所になっていない強味がある、好感度大。

仕事場で解離した日のこと

心理状況のドキュメントを作品に昇華する試みだが、そのぶんドキュメントのキレ味が後退し、作品としてのふくらみ味に押されぎみの感あり、難しいところです。

ロリータ・キルズ・ユー

作品としていいのかどうか分からない、でも、パンク的グラフィティとしてみつめてしまう作品。

二〇二〇年代の解離症患者

ドキュメントとして目がはなせない、見逃せない、迫ってくる。

指紋

あらあらしさが甘美、今回最高作!

八幡さまのお守り

改稿後ヴァージョンがいい、改稿前との差異はかすかだが。

四月の午前二時だ

短さがするどい、するどく楽しい。

わたくしの犬=詩人

「犬詩人」ではだめ?

ドッペルサッチャン

いいなあとおもいます。

聖痕

いいなあとおもいます。

むしられた蝶の輪郭

複雑な味わいがでている。

メタモルフォシス

これも複雑というか奥行きがでてきている感があり好感です。

 

 

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