卯の花曇りにひらく6篇(26年6月)
今回はご投稿いただいた作品の中から6篇、お届けいたします。ぜひご一読ください。
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卯の花曇りにひらく6篇 ・誕生日 ・こころ ・5月の猫 ・Rainbow ・存在 ・避難所 |
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誕生日 とし
いつもより30分早く起きて あの娘の椅子に花を飾ろう 目覚めた瞬間 素敵な一年が待っていると 心ときめく始まりとなるように
おもちゃ 小物 アクセサリー 化粧品 年を追うごとに大人っぽくなるプレゼント 一抹の寂しさを感じつつ 花を飾ろう
公園 プール キャンプ場 カフェ 小さかったあの娘のあどけない笑顔 無事に成長した奇跡を忘れないために 花を飾ろう
一年に一度 特別な朝 |
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こころ 鏡ミラー文志
こころ それは、隙の中に見えて、ガードの中に隠れ 咄嗟の中に現れても、日常の中に埋もれ 独り言の中に聞こえながら、会話の中に紛れ 夢話の中に感じながら、理想の中に包まれ 無意識の中に眠りながら、意識の中で語られ 装飾の中で輝きながら、剥き出しを恐れ慄き 寒さの中で震えながら、熱さによって守られ 下品を恥じながら、上品にさえ照れを覚え 気高さと志によって、グングンと健やかに育ち 距離感を保ちながら、寄り添いも忘れず 雨となり風となり嵐となり 蛇となり時に邪ともなり 種をつけ実をつけ、花を咲かせ すべてであるかのように装いながら 決してすべてではなく 溢れる者あれば涙脆く 薄き者あれば、風へと流れ去り 虚しく侘しく愛おしく 外に見つけ内に見つけ、いつの間にか忘れ 音に遊び語に託し、筆で伝え歌い 紙に残しいつか私、いずれ去るのみ |
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5月の猫 倉橋謙介
駅まで近い お墓の抜け道前を征く 5月の猫は 意気揚々としてみえた 背中に揺れる 新緑の影を羽織って 僕の背中はどんなだか 余った糸で手遊びしてる そこの蜘蛛にでも聞いてみよかな |
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Rainbow m.t
海の真ん中に虹の柱が伸びている。 そこには悲しみの粒子、横切る渡り鳥。
どこがホームタウンなのかわからない。 山の中の一軒家、そこでひっそり暮らしたり。
少し小さな街外れ、鉄筋のマンションの一室。 駅前のシャッターが開かない豪華な店舗、 それぞれに色があり、くすんで見えるのは優しさが多い時。
窓を開けた古びたセダンに風が吹いて、虹色の粒子が舞い降りる。
生きていくことはこんな感じか? ささやきのように髪の毛にウインクを残して空に帰る。 不意に透明な涙が、柔らかい鎖のように重かった。
いつまでも虹は掴めない。 |

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存在 佐竹信也
すれ違いの日曜日 重力のモラトリアムは 明るく無邪気に凛として 咳き込んだ僕を通り過ぎてく
当たり前だと 木々は笑いながら 蝶に寄り添いながら 使い古した僕のカメラを見て 「時を記録してね」と 少し励ます
午後のラジオはルーティンで 訳なく罪なく通り過ぎて まるで寄り添う気すら無く 僕の時間を奪ってく
囚われた時間は今日もまた 新聞の羽ばたきに吸い込まれてく
そんな毎日を受け入れるしかない
でなければ 僕はもう
僕で無いのだから |
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避難所 ヒンヤ
カンパンを食べる 蛾は殺さない 毛布にくるまる 夜明けまで あと数時間 瞼に思い出 鮮やかな日々 メガネ越しの彼女の瞳は 静寂さと 誠実さを写している きのう見た 野良猫の耳は 蛾の羽のごとく 生きていた
朝の日差しが 優しいように 少しでも 寄り添ってくれるように
メガネを拭きながら 彼女は祈っている |
世話人たちの講評
平石貴樹より
誕生日
娘さんは幸福ですね。
こころ
言い得て妙ですな。
5月の猫
猫から蜘蛛への転換がちょっと早いでしょうか。
Rainbow
2、3連目、どうつながるのでしょう。
存在
生とは時との闘いでしょうかね。
避難所
彼女と私の関係性が、もうすこしわかればもっといいのに、と思いました。
渡辺信二より
誕生日
いい「誕生日」です。当たり前の日常を、椅子に花を飾るという非日常の行為で表現する作品です。些細なことですが、第一連、目覚めた瞬間に「花」に気付くとすれば、花の飾られた椅子は「あの娘」の寝室に置かれているのか、などと、詩の場面設定が気になります。
こころ
リズミカルに「こころ」の多面性や変化が表現されています。よくまとまっている作品です。最後行に「私」が出てきますが、これは考えどころでしょう。主客不分別のままがいいという判断もあるでしょうから。
5月の猫
タイトルに好印象を持ちます。したがって、猫から視点や関心が移動してゆくのが惜しい。
Rainbow
「虹」に「悲しみ」や「空に帰る」想いを託すのは、それほど珍しいことではないが、その「虹」を見る位置の変化が、語り手の人生の変遷に重なると、読者にさらに訴えるでしょう。11行目のみが、過去形だが、現在形と比較して、どちらがいいだろうか。
存在
「重力のモラトリアム」やカメラで「時を記録」する、「囚われた時間」、「新聞の羽ばたき」など、面白い表現がある。確かに、「そんな毎日を受け入れるしかない/僕」は、なお「僕」であるために、どうするだだろうか。
避難所
何からの「避難」なのか、「彼女」一人だけなのか、「瞼に思い出」とあるがどんな思い出なのか、詳細に書く必要は全くないが、でも、暗示や示唆は欲しいところだ。そうすれば、たとえば、「野良猫の耳」も表現として生きてくるかもしれない。
※千石英世氏のコメントは休載となります。ご了承ください。
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