葬儀のイメージ
葬儀のイメージ
このあいだ,「死ぬ」を表す語を調べたことがあった。
どこの国でも,あからさまに「死ぬ」とは言わず,「亡くなられた」とか「永遠の眠りについた」「お隠れになった」などなど,色々な表現がある。
中でよく使われるのが,中国語では“他走了”や“去了”だ。
あまりに良く使われる日常語なので,うっかりしていると,「どこかへ出かけた」のかとか「どこかに行ったんだ」ぐらいに思ってしまうことがある。
その後に葬儀の様子などが出てくると,ああ亡くなったのだと分かる。まったく油断がならない。
お葬式も日本とは,だいぶイメージがちがう。 こんな比喩にぶつかったことがある。
我睁开眼,雪花漫天,像一场缤纷的葬礼。(眼を開けると,空には一面の雪片が舞っていた,あたかも何か白いものが入り乱れる葬儀のように)
空に舞う無数の雪片,それが「葬式のようだ」という。我々にはない連想だ。
これは“撒纸钱”(紙銭をまく)のイメージだろう。中国人は人はあの世に行っても,住む家や着るもの、車などが要ると考える。もちろんお金も。これらを紙で造り,墓前で燃やしたり、葬儀で撒いたりする。その様が空に舞う雪のようだと言うのだ。都市ではもう見られない光景だが,葬儀の中核的イメージとして人々の脳裏に残る。
二枚目の写真は,老舎の《茶馆》の最後の場面。舞台効果を出すための演出も入っているだろうが,雰囲気がよくでているので出してみた。