子供の罪は親のせい?
子供が何か悪いことをする。社会を騒がせるような犯罪のこともある。
その時,親が顔を出して社会に謝罪するようなことは日本ではまず無い。たとえ親でも子供の犯した罪で非をとがめられることは公にはない。
ところが中国だと,子供の犯した罪は最終的には親に責任がある。そういう感覚が根強い。諺にも,
儿女做坏事,父母终有错。
(子供が悪いことをしたら,その責は最終的には親が負うべきものだ)
とある。「親のしつけが悪かったのだ」とか,「親はどんな教育をしていたのだ」,「親の顔がみたい」。こういった感情が自然と頭をもたげてくるという。
実際「連座制」という伝統が今でもなごりとしてあり,簡単に否定できない。
小儿犯罪,罪坐家长。
(子供の罪は家長の罪)
この諺に言う“罪坐”とは,まさに「連座制」のことである。子供の親からはじまり,兄弟から親戚一族へ,さらには隣り近所にまで累が及ぶ。そういう「連体責任」の実体が身近に感じられるのであろう。
逆に言えば,家族の結束力,団結力が強いということでもある。
「子供の喧嘩に親が出る」というが,中国ではよく映画などで,弟がいじめられると兄が出てくる,その兄をこらしめるべく相手の家の親が出てきたりという場面がよくある。最後は双方の親同士の罵り合いに発展したりする。
家が侮辱されたり後ろ指さされたりする事には実に敏感な反応を示す。
家の大切さは,家の存続にかかわる子供の結婚や就職などには一家を挙げて干渉することにも頷ける。