「親子」もの
中国の小説の中にはさまざまなジャンルがあるが,「親子もの」というのがある。中国語で“亲情”という。あまり耳慣れない言葉だが,考えてみれば“友情”という言葉がある。友情である。友だち同士の情愛を扱う。“爱情”ならば恋愛ものだろう。そういう流れでこの語を眺めると,それほどおかしくはない。“亲”とは親戚であったり,親子であったり,要するに血のつながった一族間の情愛ものだ。しかし,それが一つのジャンルとして存在するのは,やはり日本とは違う。
親子の情は日本よりも濃密である。
“不孝有三,无后为大”という言葉がある。不幸に三つあるという。中で最大の不幸は「子孫なきこと」とある。家の存続,子孫を残すことは最重要事とされる。
仕事が忙しい息子や娘に替わって年老いた母親が,結婚相手を探しに公園に「お見合い」に行くという話は耳にしたことがあるだろう。参加する相手も息子あるいは娘のためにやってくる親たちである。
この間読んだ本では,都会に出稼ぎに出てなかなか帰ってこられない息子のために田舎にいる両親が,ふさわしい嫁を見つけてあげるという話がでていた。嫁さんを親が勝手にきめてしまうという,仰天ものである。
また,こんなショートショートもあった。30過ぎの息子がまだ独身であるのを気に病んで,高齢の母親が,インターネットのSNSを始める。孫娘に手続きをおそわり,男性に扮して,ハンドルネームは「イケメン」,女性たちと交流をはじめる。意見のやりとりから,しっかりした女性を複数選び出し,その子たちの名前と自分のパスワードをいまわの際に,私からの「遺産」だと言い残す。息子は何よりの心遣いと涙をながす。
日本だと「余計な御世話」と一蹴されそうな話である。