ひょいと失敬
二三年前,街の様子を取材に北京に出かけたことがあった。活気あふれる街では,新しい商売が起こっていた。なかで目を惹いたのはテイクアウトや宅配。街中をそれらしきバイクやミニバンが走り回っていた。
日本の宅急便も進出しているようだ。しかし,よく見ると日本とはどこか違う。帽子の色が違う。日本のそれは確か「緑色」だが,此処中国では見慣れたあの緑ではない。
理由はすぐに察せられた。中国語には“绿帽子”という言葉があり,これは何と「女房を寝取られた亭主」という意味なのだ。辞書にもちゃんと載っている。仕事とは言え,緑の帽子は身につけたくない。きっと中国での事業展開にあたっては一悶着あったにちがいない。色にかかわる異文化だ。
もう一つ,日本との違いを見せつけられた。
団地や集合住宅へ荷物を届けるとき,日本なら当たり前のように,玄関先までお届けするのだろうに,ここ北京では1階の空き地で受取人が降りてくるのを待っているのだ。
受取人も見知らぬ人に玄関口まで来られ,あかの他人にドアを開けるのは躊躇があるのかも知れない。
あるいはこうも考えた。日本で郵便屋さんや宅配業者が住宅街で荷物を届けているのに出くわすことがある。彼らは多くの荷物を自転車の前後に積みながら,その中から一つ二つを持って配達の家に向かう。すると,荷台には多くの荷物が残ったままだ。誰かが通りすがりにひょいと失敬という心配はないのだろうか。
こんな発想をするのは,中国生活を体験したからこそかもしれない。実際,中国から日本に帰国した当初は,お店が歩道まではみ出して商品を並べているのをみては,「ひょいと失敬」を連想したものだ。中国語にはこういう場合を表す恰好の四字成語“顺手牵羊”まである。ひょいと手を伸ばして道ばたにつながれてある羊をこれ幸いと頂戴する,という意味だ。
言葉がある,ということは現実にも起こりうるということだろう。